2025.04.08
「ゆらぎ」と「波動」
毎日波を見つめているからなのか、近頃「波動」ということをなぜかよく考えます。人は、「ゆらぎ」や、「波動」そのものだと思います。
精神を宿した、外面の「肉体」よりも、内面で動き続けるその「ゆらぎ」や「波動」(=精神?)が、実はその人の大きな部分を占めていて、それによって日々、行動を決定したり、仕事をこなしたり、生きるために呼吸したり食べ物を選んで体に取り入れたりといったことをしているのかな、と。
人と人が接する時に動くものや、深まるもの、感じることって、本当に自分一人では動かせないことが、実は多かったりしませんか。
当たり前のことのようにも思えることですが、そんな思考を導いてくれたのは、もしかしたらこの詩かもしれません。
皆川輪さんが書簡の中で私に届けてくださった詩の中でも、この「声」という詩は、短い言葉の連なりの中に、大きな真理が描かれているように感じ、自然と私の手を動かしてくれました。
「声」
たがいの
しんらいは
純粋に運ばれいざというとき
あらわれる
ふしぎ皆川輪 詩集「木蔭の鳥」より
詩から絵が生まれ、絵からまた詩が生まれるふしぎな循環。
この循環そのものも描かれたこの詩は、一生かけても読み深めたいうつくしい詩だと思っています。
文学や芸術にとことん触れたり、人と長い時間かけて話をしたり。
そうした時間の後に見えてくるものがあったりします。
その感度を測るものとして、「波動」の感じ方があるのではないかな、とも思ったりもします。
